長岡鉄男の『オーディオクリニック』を読んだ。
最初に読んだのは、10代の頃で、当時は、スーパースワンやD-55(巨大だった)を作るなど大いにファンだった。
ただし、当時からソースは、A級セレクションではなく、ヴァントや朝比奈隆だった。
やはり第一には音楽ファンだったのだ。
そうすると当時、どうだったか?
グラモフォンなどをかけると高域がきつい、ハイアガリな音になった。
それでも小気味よい小口径フルレンジは聴いていて爽快この上なかった。
D-55は大き過ぎて、また6畳では飽和する感じ(まるで16型のオペラシティだ)で、スーパースワンを使っていた。
今でもあれは、傑作だと思う。
BISのフォン・バールが来日してエンジニア(クプファーという名前だったと記憶)と方舟を訪れた際は、即座に「買いたい!」と言った、記事を読んだ。
クプファーは「長岡先生はオーディオの魔術師です」と紙面で答えていた。
スーパースワンだけは日本オーディオ博物館なりを作って(自分は将来作りたい気もする。笑)、オリジナルをどこかで、展示、保存しておいて欲しい。
日本に法隆寺があるように、スーパースワンがあってもいいではないか。
これは、余談だが、当時『レコード芸術』ではグヴァドリーナや吉松隆など、現代音楽の作家が方舟を訪問していた。
対談ではないが、フルートの工藤重典さんも長岡氏に設計依頼して、スピーカー(モアイ)を作ったことがある。
要するに、現代音楽系の作曲家(工藤さんは異なるが)からは、音について信頼されていたということだと思う。
グバイドゥーリナの記事(今手許にない)では、二回音をききに二回訪れた。
一回目は、通訳つきで「公式」。
2回目は通訳なしで、おしのびで。一回目の時間が短かったから、という理由だったが、もし一回目の「音出し」で可能性ゼロならば、2回目訪問はありえない。
やはりプロの耳できいても、「あ、これはすごいと思うもの」を持っていたのだと思う。
それは長岡さんが言っていた「トランジェント」が現代音楽で要求される音とマッチしたからではないだろうか。
そのかわり、古典曲のVnでは、──いわゆる過去の名盤──では、問題が多かった。
弦がドライすぎて、ぱさつく。潤いのない干物みたいになってしまう。
(この問題はまた別に追求したい)
閑話休題。『オーディオクリニック』に話を戻す。
内容は、読者のお宅に長岡さんが訪問して、改善案を実行する、という企画だ。
スピーカーの配置を変える、鉛のインゴットを乗せたり、するのだが、とにかく文章が上手い。
歯切れのよい、リズムの立った文章なので、さくさく読み進めることができる。
めちゃくちゃユーザーをけなして、『暴言多謝』という言葉で結んだり、やりたい放題だ。
いくつか印象的な箇所を挙げる。
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もっとも趣味の世界、たいせつなのは充実感である。自己流で満足するもよし、情報の洪水に振り回されて悪戦苦闘するもよし、「過程を楽しむことを趣味という」のであれば、百点満点、完成してしまったら趣味ではなくなる。何を隠そう筆者のシムテムもまだまだ未完成であり、毎日悩んでいるのだ。P,24
■■■この言葉は深い。めちゃくちゃ深い。
そしてそこには、「情報洪水で振り回される人」でさえ、「まぁ、それでもいいよ」という目線が僕には感じられるのだ。
もちろん、長岡クリニックは、洪水に振り回されている人も、登場する。
が、「コテンパン」にやっつける文章にも、どこか長岡鉄男の文なら読めてしまう。
そのことの背景には、「たかがオーディオ、されどオーディオ」という絶妙な感度がある気がする。
そういうヘンテコユーザーも含めて趣味を愛している。
そのことが行間から感じられるのだ。
長岡さんは戦争経験者(歴代天皇の名前を暗唱させられたという)だが、「平和だからこそできる趣味」、「だから、ま、いいじゃないか」という気持ちがどこかにあったと思う。
それが、前述の軽妙な文体リズムとあわさって、居心地のよさをうみだすのだ。
なかには、「どきり」とする文もある。
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どういうわけか日本では、装置は海外製品、ソースは国内盤というのが、マニアの標準コースになっている。これは評論家の場合も同じである。なぜそうなるのか、理由はわかっているが、筆者の口からはいいにくい。読者の方で、調査研究してほしい。
悪貨は良貨を駆逐する。これは万古不易の法則である。
■■■この「理由」とはなんだろう?なにか広告料とかそういうことを連想してしまう。
大胆アドヴァイスも多い。
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現時点で選ぶとしたら、Lo-D HS33D(3万円)だ。コンパクト、ワイドレンジで、能率も高く、音源が小さいので定位もよい。
と書かれている。
が、訪問したお宅のユーザーは、なんとRogers Studio 1という一台(!)138000円を使っているのだ。138000円のロジャースのオーナーに、3万をすすめる勇気?は、僕にはない。
長岡鉄男だから、一刀両断になせる技、そして、いったい全体、Lo-D HS33Dとはどんなスピーカーなのか?
『荒業』と感じた箇所も2箇所ある。
まず、JBL4343ユーザーのお宅
「最初はアッテネーターをいろいろいじってみたがうまくいかない。
そのうちふと気がついて、Rchのスコーカーの音響レンズを取り外して、付け直してみた。驚くべし、f特がガラッと変わって、3kHz付近にあった大きく深いディップがウソみたいに消えてしまったのである。」
これを読んだ時はびっくりした。JBLのフラットでないf特を批判?している箇所もあったと思う。
そして「カルテの余白」には
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海外製品を使っているマニアでいい音を聴いている人はゼロに近いのではないかと思う。少なくとも筆者の訪問した海外製品ファンの家でいい音を聴いたことは一度もない。海外製品が悪いというのではない(悪いものが多いことも事実だが)、使い方が悪いのである。共通しているのは自分の耳に自身を持っていないこと。従って音を選ぶことができない。しかし、金は持っている。そこで世間の評判、ブランド・イメージを最優先する。
うーむ、一刀両断である。(一応付け加えると連載は81年から84年である。海外製品が高価格だった頃。)
そして「これは誰にも真似できない」と感じたのは、スピーカーを開封して、吸音材を減らすのだ。
いきなり家に来て、一時間もしないうちに、スピーカーのユニットあけて、グラスウールを減らしたら、どう感じるだろう?
大胆きわまりない。荒業だ。
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NS-690の時代は、アンプの制動力が充分とはいえなかったので、スピーカーはどのメーカーのどの機種でも吸音材が大量に使われていた。吸音材による徹底した制動(立ち下がりのみ)が必要、と考えられていたのである。
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吸音材を減らすと立ち上がりがよくなり、細かい音がよく出てくるが、立ち上がりは悪くなり、くせが出やすい。このマイナスの部分はオンキョーインテグラ M-509という強力なアンプでカバーできるという判断である。
というのが長岡さんの「見立て」である。
理由は分かるし、一理あるのかもだが、作ったエンジニアが見たら、どう述べるだろうか…。
なかには、「俺の音作りは吸音材込みだ」と述べる人もいるにちがいない。
■■■立下がりとはなにか■■■
次に結論的な部分をとりあげる。
これはある意味、僕の最初のスーパースワンへの疑問とも繋がる箇所もあると思う。
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特にスピーカー(Rogers PM-510 44万!)はHさんの狙いには好適といえる。ソフトドームトゥイーターと、ソフトコーン(ポリプロピレン)のウーファーの2ウェイで、エンクロージュアは共振を徹底的に抑えるというタイプではなく、どちらかというと響きを重視した楽器的な音作りのスピーカーである。ソフト素材を生かして立上がりは多少犠牲にしても立つ下がりを重視。振動数の鳴きを極力抑えようというタイプ。エンクロージュアの方で多少響きをつけて、味と潤いのあるサウンドを狙う、従ってこのスピーカーにダイナミックな切れこみを求めるのはちょっと筋ちがうという気もする。
~中略~
ひとつだけ筆者の感想をつけ加えておくと、Hさんの愛聴盤であるステレオ初期のディスクにもいろいろあるということ。ひとつの典型はナロウレンジで、硬質、SN比があまりよくなく、音場も3点定位(左SP、右SP、及びセンターと3点に音源がグループ定位する)とか、厚み不足(奥行が前後とも浅い)のもの。クリップ(赤線)もうひとつは80年代録音さえ上回るほど、ワイドで、情報量が多く、特に細かい音が完全にキャッチされているため、拾い出せばいくらでも出てくるというもの。音場も3次元的に広大である。ただ、数としては前者が圧倒的に多いので、演奏中心でステレオ初期録音をコレクションしていくとなると、Hさんの行き方が正しいことになる。
筆者のように録音中心で、ステレオ初期録音の中から厳選したものだけを聴くという方式だと、ロジャースでは無理で、高剛性、ハイスピード、ワイドで、微小信号に強く、余分な響きを持たない、つまり、楽器的ではなく、忠実な変換器であるような装置が向くようになる。両方持っていれば一番だが、2組のシステムをひとつの部屋にセットすると、どっちつかずになるおそれもあるのでなんともいえない。
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注記すると、長岡先生が書くステレオ初期、優秀録音は、Everestが多かったように記憶している。整理するとこうなる。ロジャースと逆になるが、スワン系で代表させる。
スワン系=立ち上がり重視型
スーパースワンはバックロードホーン方式で、軽くて硬い紙(フォステクスのフルレンジユニットのコーン紙)を、高能率で一気に駆動する設計。
その代わり、軽くて硬い素材は内部損失(減衰特性)が小さいので、鳴き始めたら止まりにくい=立ち下がり・制動はやや犠牲になりやすい
振動板が軽い → 信号に対する反応が速い=立ち上がりが良い
ホーンロードで低域まで能率を稼ぐ → 微小信号でもパッと音が出る、俊敏さが持ち味
ロジャース=立ち下がり重視型
対照的に、ロジャースPM-510はソフトドームトゥイーターとポリプロピレンウーファーという、あえて「柔らかい・重い」素材を選んでいる。
しかしその柔らかさ・内部損失の高さが、鳴き始めた振動を早く吸収して止める → 立ち下がり・制動は優れる
柔らかい素材は駆動されてから動き出すまでにわずかにタイムラグがある → 立ち上がりはスワン系ほど俊敏でない
| 立ち上がり | 立ち下がり | |
| スワン系(軽い・硬い・高能率) | ◎俊敏 | △やや甘い(鳴きが残りやすい) |
| ロジャース系(重い・柔らかい・内部損失大) | △やや鈍い | ◎制動が効く(鳴きが早く収まる) |
では、これを楽器ごとに考えてみるとどうなるのか?
以下、AIに質問を投げてみた。
音の立ち上がりがよいと改善される楽器は?
打楽器(ティンパニ、シンバル、トライアングルなど)
一撃の瞬間が命の楽器なので、アタックの鋭さがそのまま音楽的な生命感に直結します。
金管楽器(トランペット、ホルンなど)
タンギングによる音の立ち上がりの明瞭さが、フレーズの輪郭やアンサンブルの切れ味を左右します。
■■■↑は非常に分かりやすいし、実感ともあう。とにかくBHは音の歯切れがよい。欠点になる楽器は?
音の立ち上がりが強すぎると、逆に苦手(デメリット)になりやすい楽器は、次の2つが挙げられます。
弦楽器のロングトーン(アルコ奏法)
本来なめらかに立ち上がるべき音の出だしが、必要以上に鋭く、ざらついて聴こえてしまう。
木管楽器(フルート、クラリネットなど)
息づかいの柔らかい入りが持ち味なのに、音の出だしがカチッと硬く、角が立ったように聴こえてしまう。
■■■この弦楽器は分かる。はっきりいうと、スワン系でファーストヴァイオリンは、ヒステリックになってしまうのだ。宇野さんが、トスカニーニはサッカリン、労働者だと評したことがあったが、ちょっと弦が直線的すぎるのだ。──────────────────────────────────────
では、ロジャース系はどうだろうか? 制動がよくなると影響する楽器は?
弦楽器のロングトーン
ディミヌエンドの消え際が、余計な尾を引かずになめらかに減衰していく。フレーズの終わりの品位が上がります。
木管楽器(フルート、クラリネット、オーボエなど)
息の抜き方、音のフェードアウトの自然さがそのまま再現される。
■■■これは、実感とも相違ない。弦の弓と弓のつながりが、ハーベス/ロジャースだとなめらかでよいのだ。木管楽器の品位、なめらかさも同様だ。
逆に苦手になるのは
打楽器(ティンパニ、シンバルなど)
本来持っている豊かな余韻・鳴りが早く収束しすぎて、響きが痩せて聴こえてしまう。
金管楽器(トランペット、ホルンなど)
サステインした強奏の伸びやかさ、倍音の豊かな広がりが、制動によって早く抑え込まれ、伸びやかさが削がれてしまう。
うーん、速く収束しすぎて、痩せる。たしかに、ケルテスの新世界などティンパニがよく録らえられている。ある種の「ゆらぎ」のような心地よさが、制動されすぎると、カスカスで、パサパサになってしまうのかもしれない。
■■■とはいえ、実際には、このスワン型100%もなく、ロジャース型100%もない。とはいえ、傾向はある。Tendencyだ。ALTECで、弦のしたたる艷やかな音は、あんまりない。球アンプをつかって、わりと緩くふわっときかせてクラシックにいい塩梅なやつもある。高能率系は概して中域の密度感、コクがないが、球アンプなら違うかもしれない。もし、10代の僕が、球アンプを使っていたら(当時は、sony 222ESJだった)スーパースワンの音も、また結果は違ったかもしれない。経験値によって、ブレンドできる音も変わってくる。
とはいえ、よく長岡さんが、「ハード系」「ソフト系」と称する、形容詞の具体例が、ロジャースを例にとって、長文(2ページ!)で説明されているのは大事だと思う。長岡さんも、ただソフト系を非難するのではなく、きちんとソフト系を分析しているのだ。(あれだけSPを作った人はメーカーでも少ない。)「立ち下がり」について優位を認めてもいる。それでも、12万の人に3万のLo-Dを持ってくるところに、長岡さんの痛快さがある。
ともかく「立ち下がり」について言及しているのは珍しい気がした。そして、P.113ページの最後の「ワイドでフラットで~~つまり楽器的でなく、忠実な変換器が向く」という文章は、長岡さん一人のみならず、当時の日本の全体的なオーディオ業界のハイファイの考え方を代弁しているような印象を受けた。
スーパースワンの魅力の一端(鳴りっぷりのよさ)が分かる動画、偶然見つけた。参考がてら。

コメント
『長岡鉄男のオーディオ・クリニック』‥‥一時期は、書いてある実例や対策などをルーズリーフに書き出して本書に挟んでいました。
鉛のインゴットは一時期 アンプに乗せていましたが、有毒性の懸念もあってやめました(使っていた時も、クリアラッカーを吹きつけていました)。
> どういうわけか日本では、装置は海外製品、ソースは国内盤‥‥‥なぜそうなるのか、理由はわかっているが、筆者の口からはいいにくい。
機器はともかく、レコードは「国内盤のみ正規」というのは、利権丸出しで、かつ音質には裨益していませんでした(中野英男氏指摘どおり)。ドイツ・グラモフォンなどは、日本(とフランス)以外では、ドイツ・プレスを流通させていたはずです。長岡氏『外盤A級…』で紹介されていた、ヨッフム指揮のオルフ『カトゥリ・カルミナ』や、デュトワ/ロンドン響の『ペトルーシュカ』など、本当に素晴らしい音でした‥‥もう一生、あの世界には触れられません。
わが国の「オーディオ評論」は、自立した criticism ではなく、「業界広報」であり続けているので、この辺はしようがないのですが、政治・社会・経済にまつわる「報道」の世界全体が、「広報」に変質してきている事態は、そうとうマズいと思いますね。
> スーパースワンへの疑問…
長岡氏自身、「方舟」の音と、音の追究について「疲れた」と言っているのを読んだ記憶があります。
私自身は「鉛のインゴット…」的対策からは離れ、長岡的「よい音」だけがよい音ではない、という判断に至っています。
が、明確な批評文はすばらしく、我田引水かつ畏れ多いのですが、私の「価格.com」への製品レビューの文体は、長岡氏の『FMファン』ダイナミックテストを意識しています。
> グヴァドリーナの記事(今手許にない)では、
グバイドゥーリナ Sofia Gubaidulina では? グバイドゥーリナが「方舟」を訪れた記事、こちら:
https://bacchus-room.hatenablog.com/entry/2022/07/24/215915
にありました。
‥‥雑感でした。
コメントありがとうございます。
かなりの愛読書であられたご様子。
鉛インゴット、自分もスーパースワンに粒状の鉛を入れて使用していました。
■■■
広告主への配慮はデリケートな問題があるようですね。
ただ国内盤で、日本語のブックレットにもお世話になった身としては複雑な心境です。が、音質だけなら、外国優位というのは、あるのでしょうね。ことにレコードは。
自分は、ディスク面は宇野さんの影響が大きかったです。
ですので、ひょうたむさんが、レコードで、プレスによる音質差も実際にいろいろとご経験されたのは、うらやましいです。
>長岡的な良い音だけが良い音ではない
これは私も同意見です。ブログの冒頭に書いたようにソフト選択がメジャーレーベルになるとスワン系だとハイあがり、Vnはヒステリックになります。
ブログ内で、ロジャースにLo-Dの3万で対抗には、雑誌としては楽しいですが、実際はもっと複雑で、ロジャースにしか出せないものも絶対にあります。
長岡さんの潔さは、「俺はサウンドマニアだ」と開き直って、自衛隊の音や犬の吠える音をならしたことです。それにより、旗色鮮明になりましたし、サウンドマニア派の生きる余地を与えたといいますか。80年代、90年代は、今より「サウンドマニア派」が多かった気もします。
長岡氏が「疲れた」というお話も興味深いと感じました。読者が求めるものとプライベートの部分との乖離のような気もします。
「グバイドゥーリナ」についてご指摘ありがとうございます。
本文を訂正いたしました。
またリンクもありがとうございます。なつかしの対面です。