米ブルックナー協会 マタチッチと朝比奈のブル8 マタチッチのインタビュー 

日記

以下、マタチッチに関する情報共有だ。

アメリカのブルックナー協会(どの程度権威か、知らないが)というところのサイトがある。
以前から知っていたが、そこにDLコーナーがあり、何気なく見ていたら、1983年のRAIとのブルックナー8番を見つけた。
カセットテープでのみ販売された、と書いている。
https://www.abruckner.com/downloads/downloadofthemonth/september21/

時系列でいうと、NHK交響楽団とのあの映像とどちらがはやいのだろう。
マタチッチは、北原幸男に「もう一度NHKを振りたい」と言って、北原がNに連絡し、来日実現したときく。
が、イタリアで振っていたとなると、純粋にNHKが好きだったのか、あるいは、RAIに満足できず、NHKを希望したのか…。

いずれにせよ、この演奏は、無料でDLできる。上記リンクを参照してほしい。

またこのサイトでは、朝比奈の8番をはじめて指揮した名古屋大管弦楽団の演奏もUPされている。
以前聴いたが、演奏は立派で、もうスタイルとして完成している気がした。オーケストラもうまい。
また、この団体がハース版を希望したゆえ、以後朝比奈はハースや版の問題に熱心になったようだ。
以下、リンク。
https://www.abruckner.com/downloads/downloadofthemonth/august10/

画像は、『朝比奈隆 栄光の軌跡』より。書誌(音源)情報的には、1976年、1月。ジャンジャンに8番の演奏が8月なので、直前になる。

最後の一点、マタチッチで、youtubeの動画が推薦にあがってきた。
放送局のドキュメンタリーのようだが、なんとマタちゃんがフランス語で語っている。

以下、ツールによる部分訳。
フルトヴェングラーとも親交があったようだ。

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私たちの世代は、もっとずっと謙虚に出発しました。

例えば、私に親切にしてくださったフルトヴェングラーです。

私がベルリンで若い指揮者だった頃、彼は何度も私の演奏会に来てくださいました。

終演後には話をし、私の親しい友人であったカラヤンとも語り合いました。

私たちは皆、小さなところから始めたのです。

フルトヴェングラーも地方都市アーヘンから出発しました。

最初に指揮したのは、レハールの《陽気な未亡人》でした。

そして三年間はオペレッタばかりを指揮していました。

その後、もう少し大きな劇場へ移り、

比較的易しいオペラから少しずつ経験を積んでいったのです。

いきなり《フィデリオ》のような大作を振ったわけではありません。

カラヤンも同じです。

もっと小さな町から始め、

オペレッタなどを少しずつ指揮しながら経験を積みました。

私自身もユーゴスラビアの地方で出発しました。

私が最初に指揮したのは、フランスのオペレッタ《隠者の鐘》でした。

私は意識的に大作を避けました。

人生のためと言うより、

もっと成熟した時期まで取っておこうと思ったのです。

ベートーヴェンの《第九交響曲》を初めて指揮したのは、

それから何十年も経ってからでした(インタビュー当時で約12年前)。

私は17歳の学生の頃には、第九をほとんど暗譜するほど知っていました。

しかし、それを知っていることと、

実際に指揮することとはまったく別です。

音楽を勉強するだけでは足りません。

今日も話しましたが、

楽譜の音符の「裏側」に何があるかを読み取らなければならない。

第九のような作品を指揮するには、

人生そのものも少し経験していなければならない、と私は思います。

人は高みにも達し、

また深い谷も経験しなければならない。

そうして初めて、その作品を本当に表現できるのです。

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