「継続」つながりで、新八さんの本で参考文献に挙げられていた坂口恭平さんの「継続するコツ」を読んでみた。
いや~、爆笑しました。
この本は、いわゆる「継続のコツ」をまとめたビジネス書ではなく、著者の”漫談”が続きます。
そのプロセスが、ゆる~い文体がおかしくて、笑って読めるという感じです。
「継続」にまつわるライトエッセイ。
自分語りではあるのですが、傲慢な感じはなく、軽妙な筆致で、横道にそれながら、ちょこっと普遍性も持たせていて、文体で読ませる感じで、「さすが」という感じはあります。
まず、著者は自分のことを「継続名人」と自認します。
その著者が自他にみる、継続が挫折するパターンの分析が秀逸で、爆笑しました
~絵もまた同じなんですね。描いていると、少しずつ慣れてくるんですね。そのことの驚きに慣れてくる。あと描き方も慣れてくる。そうすると、誕生すること自体の驚きが減っていくんです。
これを避けることができません。どうしても人は慣れていきます。
一枚生まれることの驚きを忘れてしまった僕は、どうなると思いますか?
絵を描くことをやめるんじゃなくて、絵の質の向上を求めてしまうんです。
↓
自分の絵のここがあまり良くないと思い始めます。慣れると自己否定がはじまるんですね。
慣れると、周りが見えてきて、自分の絵がたいしたことがないということに気づきます。比較がはじまり、否定が始まります。
傑作を描かなくてはいけないと思ってしまいます。
↓
のびのびと手を動かしていたのに、手が固くなってしまっています。失敗してはいけないと思い込んでイます。自由ではありません。
↓
行為自体に満足がいっていたのに、今度は描き上げた絵を見て落ち込み始めるのです。
↓
はっきり言って、もう喜びがなくなっているんですね。
いっぱしの画家なんだから、すごいものを描かなくちゃいけない、みたいな恥ずかしい状態になっているわけです。
落ち込むようなほどやっていないのに、落ち込んでしまいます。P.44
~
以上が、骨子だ。
結論をいうと、この人は特殊ケースだと思う。
まず、参考になるのは上記の現象学的記述で、「傑作を意識して、比較がはじまり、大して努力していないのに、嫌になり、辞めてしまう。」
ということ。
これは理解できる。新八さんやゲーテと同様「大作をねらうな!」の精神だ。
しかし解決策は、特殊で、「二度と同じことを繰り返さない」「嫌になったらやめる」とある。
これは著者のようなエッセイスト?なら可能だろう。
しかし語学の習熟のような場合どうなのだろう?
繰り返しはつきものである。
傑作についても、ああは書いていても、やっぱり出版し、お金をとる以上、ある程度のクオリティは意識していると思う。フロー状態にはいることが大切みたいに書かれているけど、やっぱり質を意識している感じがする。
決定的なのは、「うつ病」なので、依頼やリクエストのある文章は書けない、云々。
素直だ。
しかし、読者としては、参考にならない。
うつ病に理解のある編集者をもってよかったですね、で終わってしまう。
繰り返しを嫌う、という点も、習熟には向かない。
そのあたりは筆者も気づいているのか、
「僕は本が読めないんですね。だから能力の向上にはなかなか向いていない体質なんですね。~できないことを必死に努力してできるようになろう、という意識がうすいのかもしれません」P.98
(楽器の習熟はどのようにしたのだろうか?反復はかかせないと思うが)
***
著者はライトエッセイというジャンルなので、そのスタイルが成り立つが(理解してくれる家族、編集者)、一般の人、たとえば「短歌を上手になりたい」という人の参考には、根本的にならない。
人と会うと、エネルギーがそがれるので会わない、等々いろいろ書かれているが、生きていれば事務的なことも発生する。
役所にいく、病院にいく、税理士にあう。めんどい人にも会う。
そういうのは奥さんがやっているのだろうか。
理解ある編集者がすべてやってくれるのだろうか?
どうも途中から、読んでいて、筆者の「背景」に気がいってしまい、途中から集中できなかった。
坂口ファンの人には、不快に感じられたかもしれません。
ごめんなさい!m(_ _)m


Comments