正月にニュースで一年をふりかえるニュースがあった。
オジギソウがなぜオジギするか、がついに解明された、という報道であった。
うーん、と唸ってしまった。
この研究者は、オジギソウがオジギする、開閉する、というテーマを追いかけていた、と。
そのことが科学者の間で、積年の課題だったのだろうか。
また国立大学なら、税金が使われている。
はたして、どのくらいの意義があるのだろうか。。。
エラー|NHK NEWS WEB
医療の研究というのは、社会的な意義が分かりやすい。
哲学は、まだ「プラトンの倫理学は役立ちます。」と強弁することができる。
(もちろん個別には、うーん、というのもある。。。)
とはいえ、西洋古典などで、「『吾輩は猫である』の二つの逸話の材源について –アイスキュロスの死と○○-」とか、、、「一体全体それが分かって社会の役に立つのか、、、」と思うものもある。
とはいえ、「有用性」「役立ち性」(tauglichkeit)だけで、学問を測るのは間違いだと思う。
カントも判断力の中で、幾何学者が有用性ぬきに、その学を純粋に研究した、ことに賛嘆の声をあげている。
現在では「お金になる=役立つ」というのが、定まっているが、これも間違いだ。
もっとピュアなものだ。
社会的な意義。
それから自分にとっての意味。
研究テーマとはなんだろうか?
ライフワーク、生涯をかけて追い求めるくらい痛切ななにかだろうか。。。
宇野功芳が、晩年よく「結局は自分の歌を歌っていただけなのだろうか。」という意味のことをよく書いておられた。
宇野さんにとって、合唱で音楽表現すること、ワルターの問題は痛切だった。
美の世界は形而上学の世界、宗教へと入る問題だった。
そこには個人としての痛切な意味とやはり社会全体への意味も両方あったのだと思う。
このテーマはまたあらためて考えたい。

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