宇野功芳の魅力 (2-1)矛盾編 前半

日記

前回から時間が経ってしまったが、宇野さんの魅力について(2)
題して「矛盾編」。

Aの次元では、矛盾だが、Bという次元では、矛盾しない、ということが世の中にはある。
そんなことを念頭において、読んでいただきたい。

前回、クラオタの人と話したと書いた。
その時、「情報量が多い、とはいえ、矛盾もある」と述べた。

その話。
宇野さんは、ことあるごとに、演奏評は、ブラインドテストでよい、と述べている。
つまり、指揮者やピアニストなどの表記はいらない、自分は鳴っている音のみ興味がある、と。

それは至極最もだ。
人間は、とかく『物語』を好む。
僕の友人で大変ピアノに造詣が深い友人がいる。
耳も趣味もいい。それでも彼は、終演後アフタートークして、「すごい!」と思った人の演奏に肩入れする傾向がある。

朝比奈やフジコ・ヘミングが高齢にもかかわらず、がんばっている。
高齢者の希望の星だ。
とはいえ、それと演奏は、別だ。
やはりいったん、プライベートと、演奏は切り離して受け止めたい(100%の分離は無理だが)
障害者の演奏家も同様だ。
やはり演奏家は、演奏そのもので評価されるべきだ。

そのために、CD評なども、演奏家の名前なしで聴くべきと書いていた。
それゆえ、宇野さんは好みではない、バレンボイムやカラヤン、アシュケナージでも推薦になった音源はいくつもある。
逆に、好きな朝比奈の演奏でも、断罪した例は多数ある。
要は、個別的判断、是々非々ということだ。


ところが、そのような「演奏には白紙で望むべき」をモットーとした宇野さんだが、他方で、演奏家/作曲家の姓名判断や、四柱推命についても書かれていた。

「ウヴェーという指揮者はゆるふんだ!」とか。
「ムラヴィンスキーの四柱推命、、、印綬、この星もまた暗い。落ち込みやすかったはずだ。」云々
まぁ、占いはゲーム的な要素もあるので、エッセイ、おあそびだと許容できないこともない。(宇野さんもライトエッセイのスタイルで書いており、演奏評に占いを混入させることはなかった。)

しかし、「女流演奏家は出産するとスランプになる」という説は、今ひとつひっかかるものがあるのだ。
具体的には、チョン・キョンファ、諏訪内晶子である。
プライベートの『物語』に、かなり宇野さんが引きずられて批評を書いていた節がある。
先入観というやつである。
つねづねの「白紙で、批評する」というスタイルに矛盾を感じてしまうのだ。

少し引用する。

「07年7月16日、東京オペラシティにおける諏訪内晶子をどんなに楽しみに待っていたことか。なにしろ曲がはじめてのベートーヴェンのコンチェルト、オーケストラはヤルヴィ指揮、ドイツ・カンマーフィルである。コンサートに行く前、諏訪内出産の情報が入り、期待と不安が入り混じってしまった。出産後ではチョン・キョンファの無惨な演奏が心に蘇る。無惨といっても、もちろん普通一般の水準は超えていたのだが、常に完璧だった彼女にそれは許されない。

 果たして諏訪内はどうか。祈るような気持ちで客席にすわる。第1楽章のアインガング。駄目だ。主題も経過句も、カデンツァも、第2楽章以後も平凡そのもの。特別なことはなにひとつしない彼女だけに、調子が出なければ単なる平凡に堕してしまう。
しかしこの日のベートーヴェンは0点。採るべき何者もなかったのである。
(音楽の女神の復活を待ち望む 『楽に寄す』 P.51)

この批評を読むと、微妙な気持ちになる。
敢えていうと、「先入観のかたまり」ではないか。
常々、主張していた「演奏そのもので勝負」というスタンスとは大きく異なる。

もし、この時、宇野さんが、音楽関係者という立場でなかったならば、つまり「諏訪内出産」のニュースをきかず、舞台に接していたら、どう受け止めたのだろうか、、、。
きちんとそれ以前の演奏より、グレードが落ちると、指摘できただろうか?

実は、この演奏会、自分も聴きに行っていた。
宇野さんとは会わなかったが、丁度、諏訪内のことを評価しはじめた頃で、どういう演奏家なのか、気になったし、ヤルヴィ・カンマーフィルは二度目くらいで、彼のエロイカは初聴きだった。
僕個人は、諏訪内の演奏、すばらしいと感じた。
感動とかそういうことより、諏訪内の演奏スタイルが、非常にまれな聴いたことがないタイプの演奏家だと感じた。
解釈として、特殊なことはしないのに、音楽の形がスーッと立ち現れてくる、曲に夢中にならずに、一歩ひいて、上から見下ろすように料理していく。
それでいて物足りなさがないのが、ユニーク、素晴らしいと感じた。

その受け止め自体は、間違っていない、と今でも思う。
ただ宇野さんのように、「それまで」を聴いていないので、彼女のグレードが下がったとか、上がったとか、そういう評価はできない。

後半のエロイカ、宇野さんは、滅多切りにしていたが、僕は、これはこれでありだと楽しんだ。
(ただし、彼らのCDは味がうすい感じになっている。)
アンコールの8番の二楽章は、宇野さんも褒めており、意見が一致。

話を諏訪内にもどすと、この「出産疑惑」が太刀がわるいと感じるのは、検証が不可能な点であると思う。
たとえば「当夜の彼女は、最近の演奏に比べ、インスピレーションに不足する」、とかそういう感想を持つことはあると思う。
ただ、出産ニュースという先入観をもって、聴くことは百害あって一理なし、のように感じた。つねづねのスタンスとは矛盾を感じる。 (続く)

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