先日、NHK-FMでブルックナー週間があった。
その時に、ヤノフスキのブル5をやっていた。
偶然、「聞き逃し配信」できいたのだが、本当にブルックナーの「あの響き」がしたのだ。
ヴァント、朝比奈以来、絶えてなかった「あの響き」を久しぶりに味わった。
第2楽章など、むしろテンポははやく、それでいて歌があり、響きが整えられている印象あり。
聞き逃し配信なので、さっそく信頼している友人に連絡したところ、たしかにブルックナーの響きだと、同様の感想。
ヤノフスキは、名前だけ知っていた。
ポーランド生まれだが(1938年)、幼い時から、ドイツ移住、なんとウッパータール(クナの生地、上岡!)で教育を受ける。
サヴァリッシュに師事し、バイロイトでも振っているとのこと。
うーむむ、
一週間後、気持ちを落ち着けて、Spotifyにあったベートーヴェン(2番)を聴く。
ダメだ!
響きの彫琢(FLや管楽器をクリアに響かせる)ブルックナーで感じたヤノフスキの個性は感じられるものの、できあがったものは、響きが浅く、古楽風との折衷のできそこない。
いかにも腰が軽く、いろいろやろうとしているが、一本筋の通ったものがない。
才能のない人があれこれ取り入れて、失敗している印象だ。
なにより響きが浅く、ベートーヴェンではない。
新しい発見がなにもない。
こりゃダメだ。
とても、聴き通すのがつらく、途中でポーズした。
***
そこで最近感じていること、「指揮者の強い個性で聴かせる第一世代は終わった」ということを改めて感じた。
第一世代とは、だいたい、フルトヴェングラーから、プレートルまでだ。
これらの時期の巨匠たちは、指揮者の強い個性を通して、ベートーヴェンを、ブルックナーを聴くというスタンスだ。
プレートルなんて、フランス人だし、ずいぶん勝手が違うが、ベートーヴェンを聴くと、やはり「ザ・ベートーヴェン」という響きがする。
不思議だ。
動画で、7番を指揮しているのをみた。
プレートルは、非常に変わった指揮で、拍子をきざまず、エネルギーの凝縮と分散を繰り返すような指揮ぶりなのだが、そのためか、フルトヴェングラーらと違い、音の背後に深淵な深みを感じさせるような響きの質ではない。
「芸術は爆発だ!」という指揮なのだが、にもかかわらず、聴いていて「ベートーヴェンそのもの」という気にさせられる。
まさに、芸術の七不思議、八不思議だ。
マーラーの5番の映像も見たことがあるが、
やはりエネルギーの凝縮のような指揮ぶりながら、ところどころ大爆発を起こし、音の洪水があふれ、うねり、大河のように聴くものを押し流す。
聴いていて、どこまでがプレートルで、どこまでがマーラーなのか分からない。
プレートルの音源は少なく、耳にしたものも多くないが、
それでも自分の響きを持つ(一番重要!)彼は、巨匠の名前を与えてよいと思う。
レパートリーもしぼっている辺りも、好感がもてる。
マーラーも全部ではなく、一部。ベートーヴェンも3、7、9あたりのみ。
CDで耳にしたエロイカは、オケが非力でいまいちだが、それでもシューリヒト風の響きが随所にあり、愉しい。
いやはや脱線してしまったが、だいたいプレートルの死をもって、「第一世代」は終わったといってよいと思う。
作曲家の時代が、Rシュトラウスでだいたい終わったように、指揮者の時代も終わったのだ。
僕が今才能があると、感じている指揮者はわずか。
パーヴォ・ヤルヴィ、シモーネ・ヤング、上岡敏之、インマゼールくらいだ。
これらの人々が局所的に才能を発揮することはあっても、第一世代のような層の厚みは、望めないと思う。
PS:プレートルの動画を再見すると、ちゃんと拍子をきざんでいますね。でも、僕の言いたいことは、伝わると思うので、上記のまま訂正せず。
↓マーラー5↓


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