宇野功芳の魅力 (2-2)矛盾編 後半

日記

では、宇野さんの女性演奏家に対する、そういう考え方はどこから来たのだろうか。
ひとつには、男女の性差だ。
宇野さんには、言ってしまえば、神秘主義的なところがある。
「神のおつげで、リチャード・グードの演奏会へ」とかあたりは、半分、文章の遊びだと思うが、非常に直観を大事にしていることは確かだ。

宇野神秘主義の全容(天皇制まではらむ)をここで紹介するスペースはないので、女流演奏家についての考え方を2つ、紹介したい。

1)ひとつは、「女流演奏家はそのままでは悟れない」という説。

それにしても、この全身全霊を傾けた、いのちがけの演奏はいかばかりであろう。僕はいつも考えるのだが、ヴァイオリニストに限らず、ピアニストにしろ、チェリストにしろ、このような弾き方、つまりこのまま死んでもよいというほどの燃え尽き方を男性奏者は絶対にしない。
 
 昔、仏教関係者の人から面白い話をきいたことがある。一般に男はそのままの形で悟りに達することができるが、女はまず男のレベルまで自分を高めないと悟れないのだそうだ。
 女流演奏家の異常なまでの燃え尽き方は、まず男性の域にまで自分の精神状態を高めようとする必死の姿なのではあるまいか。

(チョン・キョンファ『名演奏のクラシック』P.207)

2)
『僕は、女流演奏家のほうが好きなんですよ。指揮者は別として、男よりも女のほうに好きな人が多い。例えばチョン・キョンファとか前橋汀子とか。リリー・クラウスも凄かったです。遠山一行さんも、女の演奏家のほうが好きだし、いい人が多いと言っていましたね。男はどうしても頭で考えるから、大体同じになる。人間だから。ところが女は体当たりで、閃きや直感を大切にする。直感みたいなものは神に通じているから。それで男にできないことをやるんじゃないかとおっしゃっていた。僕は非常に同調しました。」(宇野功芳のクラシックの聴き方 P.30)

(注記するが、宇野さんは、女性を男性より下に見ているのではない、積極的に評価している、それは上記引用でなく、文章全体を読んで欲しい。)

宇野さんは、「直観」ということを大切にする。
出産すると、神に通じる直観力が、鈍くなる、と考えていた節が上記引用から読み取れる。
霊感の枯渇といってもいい。

宇野さんの出産問題は、最初の次元(無媒介性)という意味では、矛盾を指摘するのはたやすい。
しかし、美というものは測り難い。
人間のさかしらな理性で割り切れるようなものでは到底ない。

夕日の崇高さ、誰もが一度は感じたことがあるのではないか。
美のあり方として、人智を超えた「自然からの恩寵」という考え方が古来あるのも、また事実なのだ。
その自然への通路として、女性が媒介になっているケースはままある。
(巫女、祈祷、占い等)

少なくとも、計算して「美」を作り出すことはできない。
つまり美しさというものは、人間が作り出せるものではなくて、人間が最大限に努力した結果、恵みとして与えられる恩寵なのだという、考え方が古来ある。

その次元で述べると、出産問題は、(差別的なニュアンスは否定されたとしても)「自然からの恩寵」という文脈で読み取るなら、容易に否定しきれるものでもない、というのが今の心境だ。
そして、そういう一見したところ、矛盾をはらんでいるような点も、別の観点から見れば首肯しうる場合がある。

そこに僕は一筋縄ではいかない宇野さんの批評の批評の深み、または問題提起を感じるのも事実だ。

少なくとも、「女流ヴァイオリニストは男性奏者と違い、このまま死んでもよい、という燃え尽き方をする、」というこの点は、自分も、同意するし、また考察に値すると、自分は感じるのだが、みなさんはいかがだろうか?

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